【”自分が何者なのか”探し】脚本・演出・美術 小林賢太郎 ノケモノノケモノ感想/考察

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友人から頂いたDVDで観ました。

ので、感想や考察をつらつらと。事前知識とかはないので、純粋に観て感じたこととなります。

 

あらすじとしては、音尾さん演じるハラミヤが”獣ヶ淵”という田舎でバスを待っていると小林さん演じるイルマを名乗る男が突如現れ、すべての生き物の設計図が存在する世界へ連れて行く、というお話。

 

まず冒頭でイルマが”創造主”の話を出すんですが、その中で"一番強いやつ"や"一番大きいやつ"など、その種族を代表するようなものたちから創っていき、最終余った材料(ここでは作中の表現を使おうと思います)を使って"数合わせのその他"を創るという話があり、ここで"有名"や"目立つ"というキーワードを観客に印象づけます。

 

そこから場面は町中へ移り、次は読めない文字や聞き取れない言語とハラミヤが遭遇します。その状況で唯一話すことが出来るイルマに対して翻訳を頼みますが、イルマは「分かっている振りをしてごらんなさい。すべてはあなた次第。」これを聞いたハラミヤは直ぐ様、"分かっている振り"をしてみたため、それ以降の場面では、この異界の言葉や文字を理解することが出来るようになります。この場面以降、多用されるようになる「分かっている振りをしてごらんなさい。すべてはあなた次第。」に関しては、その場その場での意味もありますが、そもそもの部分を考えると「まわりからの目」を人よりも気にするハラミヤ自身に向けた言葉だったようにも思います。属する会社の名前、持ち物のブランド、そんな尺度でしか、"自分"と"まわり"を計れないことは他のシーンでも描写されていますし、最終的に物語はそこに向かって収束していきます。このハラミヤという人物は他ならぬ小林賢太郎本人を投影した役であると同時に、誰しもが持つ「人と違うことを望みながら、皆と同じでいたい」という矛盾そのものだとも捉えることができます。つまり、この物語は小林さん自身のこれまでの人生を昇華させたものであると同時に、私たち人間全体に向けての問題提起でもあると思います。全く別のもののように見えても、結局のところ大した違いが無いものあれば、その逆もある。

 

この後、すべての生き物の設計図が貯蔵されている図書館に向かう2人ですが、ここで”すべての設計図”があるはずの図書館にイルマの設計図がないことが明らかになります。つまり、イルマは創造主が創った生き物ではなく、非正規な方法で、人間に作られた生き物だということも同時に明らかになります。そして同時に、自分の設計図を見つけるためにすべての設計図に目を通していたことも語ります。そのなかでハラミヤの設計図に自分の名前を見つけ、獣ヶ淵まで会いに行ったことも。ずっと”ノケモノ”だと思っていた自分の記載がある設計図を見つけたときは本当に嬉しかったとも語っています。ここでも我々、人間の根本的な欲求である”承認欲求”が頭を過ります。

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この世界では”設計図”にその生き物の成り立ちから人生のすべてが記載されている設定でしたが、そもそもその設計図が存在することは”存在することを許されている証明”とも捉えることが出来ます。さきほどのシーンで他者との違いを属する組織や持ち物でしか計ることができないというハラミヤのことを書きましたが、イルマにとってはそれすらも羨望の対象だったのかもしれません。ここで興味深いのは、周りとの違いや特別感に苛まれ続けてきたハラミヤに比べ、イルマが生き生きと描かれている点です。彼は平たい言い方をすれば、世界の何処にも居場所がないにも関わらず、ハラミヤが迷い込んだ世界ではそれなりに楽しくやっているように見えます。行きつけの蕎麦屋があり、港の作業員とも交流があるようです。対してハラミヤが現実世界でしていることと言えば、”如何に自分が他者と違う特別な人間であるか”この一点です。両者は対照的に思えますが、結局のところいずれも”自分の居場所を作るため”に行動しているにすぎないようにも思えます。イルマの場合はそれが他者との交流であり、ハラミヤの場合は組織や持ち物だったと言えるでしょう。もしかすると、ハラミヤの設計図にイルマの名前があったのはそういった側面を両者に伝えるために創造主が図らずも行ったことだったのかもしれません。

 

再びシーンは変わり、ハラミヤは帰りのバスの運賃を稼ぐために、港で動物達を方舟に乗せる仕事に精を出します。そこでは見たこともない動物たちが数多く方舟に乗せられ、その仕事を終えるとやがて方舟はどこか別の世界へ出発します。そしてその仕事の対価として迷い込んだ世界で初めてお金を手に入れます。ここでも1つ気になったのは方舟に乗せた動物たち。小林賢太郎ワールド炸裂な動物達ばかりだったのですが、いずれも実在しない上半身と下半身の組み合わせだったり、色味が少しだけおかしかったり。つまり、その動物達は私たちが生活する世界ではない別の世界に方舟に乗って向かうことが連想され、同時にハラミヤが迷い込んだ世界はその分岐点のような場所に位置しているのではないかとも考えられます。そう考えるとイルマの設計図がないことも説明がつきそうな気がしますが、物語の設定には背かないことにしておきましょう。

 

次にハラミヤはバスの出発時間までの時間を使って、創造主に会いに行きます。冒頭

まず冒頭でイルマが”創造主”の話を出すんですが、その中で"一番強いやつ"や"一番大きいやつ"など、その種族を代表するようなものたちから創っていき、最終余った材料(ここでは作中の表現を使おうと思います)を使って"数合わせのその他"を創るという話があり、ここで"有名"や"目立つ"というキーワードを観客に印象づけます。

と書きましたが、このシーンで創造主とその秘書との間で「数はもう足りているので、最後にその種族を代表するようなものの創造をお願いします」というやりとりがされます。つまり冒頭にあったシーンは真実ではなかったというわけです。このシーンの解釈ですが、2つあると思っています。

①ハラミヤの心境の変化を表している 

パラレルワールド

①に関してはそのままなんですが、ハラミヤの心境が変化したことで創造主が生き物を創っていく順番も変化した。具体的には”自分が特別でなければ存在する意味がない”という思考から”皆同じようだが実は少しずつ皆違う、特別であろうとする必要はなかった”という思考に。ここは物語的な部分ですが、登場人物が変化すると周りの環境も変化するような描写として捉えています。

②に関しては、街を練り歩いているうちに”異なる世界”に迷い込んだのでは、というもの。図書館のシーンでも入口が変形する描写がありましたが、あんな形で別の世界にも簡単に繋がっている場所だと捉えることもできます。一見同じ創造主のようでもその世話をしている秘書のような人物の年齢が異なっていたりもしていましたし。そう考えると同じように迷い込むハラミヤも複数人いるのかもしれませんし、案内人となるイルマの生い立ちや出逢い方も複数パターンがあり、同時に平行世界として存在しているのかも知れません。

 

総じて。

結果的に色々と考えながら見ることになりました。全体としてダークな雰囲気といいますか、登場人物も少なく、話も分かりやすい部分が多いため、笑えるシーンもありましたが、全体の感想としては「こういう作り方なのね」といった印象でした。小林賢太郎さんの舞台を見るのは本作で2つ目ですが、やっぱり人が見えていないものが見えていたり、違う捉え方を常々されている方なんだな、と感じました。それが本人にとって喜ばしいことなのかはわかりませんが。

また、本作に関しては美術も担当されていたことで、登場する動物がどこか毒々しいものだったり、背景の色使いも独特なものを感じました。うん、程よい”気持ち悪さ”とでも表現しておきましょう。怖いもの見たさではありませんが、スカッと晴れ渡るようなシンプルな物語を見たいときもあれば、ぐるぐると同じところを回りながら悩みながらも残るような物語を見たいときもあります。そんな緩急も随所に散りばめられた作品だったと思います。

 

 

 

kenken726は…

(面白いものとか興味深いものに触れると書きたくなりますね。)

 

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