【4000字レビュー】「君の名は。」を見て思ったこと、考えたこと 感想・考察 

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初めて会った時から前にどこかで会ったことがあるような気がしたんだ
 
どうもけんけんです。
 
先日、話題になりつつある新海誠監督作品、最新作の「君の名は。」を見てきましたので、簡単な感想と考察、見解なんかを。なぜかここから「である」口調です。
 
※ネタバレ注意。というか見ていないとわからないかもしれない。
 

まずは 

感想

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あれこれあったけど、結局ほとんど覚えてない、それでも一目見ただけで「この人を探していた」とわかるのはまさに運命と言いたいのだろう。この映画は前半の彗星落下がトリガーとなって起こる入れ替わりがメインのように作られているし、実際使われている尺もそちらが大半だが、実際には「出会いまでの物語」を描いているのではないかと感じてしまった。あくまで個人的な感想として聞き流してほしいのだが、すべての人にはそれぞれ本作と同じように思いもよらないような「出会いまでの物語」が実はあって、それをみな覚えてはいない。それでも誰かを、何かを探しながら生きている。それを圧倒的な映像と煌びやかな音楽に乗せて、壮大に描いたのが簡潔な感想のまとめかなと。
 
冒頭で最終的な落ちどころを暗示するのはよくある手法だが、安易にハッピーエンドにしなかったところは正直好感が持てる。あれだけ壮大な出会いと別れを描きながら、色々終わったら記憶が殆どない、というのはある意味残酷だが、それだけ、あの彗星災害ではなく、瀧と三葉の出会いにフォーカスした物語とも捉えられる。それでいて、あの彗星が2人を繋いでいるという描写は誰が見ても明らかだし、そのために三葉の田舎暮らしには感謝したい。おばあちゃんもありがとう。四葉もかわいいよ四葉
 
そして特筆すべきはやはり、息をのむ映像美。どのシーンを切り取っても画になるのはさすがだ。しかも、全編通して「いつもの新海誠」では考えられないほど、明るい情景のシーンが多い。彗星が空を流れ、太陽が沈み込み、山頂からあまりに美しい町を見下ろす。どれもがひとつの作品として成立しうるし、それらが紡がれることで本作は成り立っている。ところどころそれでいいのか?というストーリーの粗をぶち抜いて圧倒してくる映像、これを見るためだけでも劇場に足を運ぶ価値は十分にあると断言したい。
 
 
 
 

音楽

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ともあれ、今回一番の功労賞はいうまでもなくRADWIMPSだろう。元々、楽曲だけで幻想的な世界を描いてきた彼らにとって、それに見合う映像があるのはまさに鬼に金棒。新海誠の描く世界とRADWIMPSの楽曲が見事に絡み合い、終始鳥肌だった。メディアへの露出はテンポやそのキャッチーなタイトル/歌詞から「前前前世」が多いが、映画冒頭の「夢灯籠」も傑作。最初の「あぁ このまま僕達の声が」って、一気に映画の世界へ引き込んでくれた。公式パンフにも楽曲の歌詞が載っているあたり、新海誠もかなりRADの楽曲には太鼓判を押しているのだろう。 
 
 

気になるポイント

登場人物の情報について

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通常の映画、というか物語の場合、特に恋愛絡みだと登場人物に関して多くの情報を出すことで、その人物たちに移入させる、あるいはとても身近な存在として話を進めていくことが多いと思うが、本作では登場人物についての情報が極端に少ない。考えてみれば新海誠作品ではいつものことだが、これは意外に珍しい。本作でも主人公である瀧についてわかっていることは「東京に住む高校生、父親の二人暮らし、仲のいい友達は二人、バイトはレストラン、憧れの先輩がいる」三葉については「神社の娘、祖母と妹と三人暮らし、岐阜の田舎住まい、父親が町長、かわいい」このくらいしか情報は出てこない。かつ、これらの情報について深堀されることはなく、あくまでキャラクターの輪郭を形作る程度の役割しか担っていない。例えばの話になるが、なぜ両者には母親が今現在いないのか、同い年という表現はあるが何歳なのか(これは計算すればわかるが)、なぜこの二人が入れ替わったのか、この辺りに関して言及されることはない。それでいて、物語の冒頭、入れ替わりが始まったあたりから、この二人の行く末を「見届けたい」、危ないシーンになれば「頑張れ」、辛いシーンになれば一緒になって「悲しい」、と結局のところ鑑賞者は、二人が気になってしょうがないのである。これは、そういった気持ちにさせるストーリー、声優を務めた神木隆之介上白石萌音の演技、RADWIMPSの楽曲、そしてビジュアル、これら全ての賜物であろう。
 

感情の吐露

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関連してもう一点気になるのは、高校生でありながら感情の吐露が少ない点である。東京から岐阜とあれだけ壮大な捜索劇をしておきながら、瀧と三葉がお互いを「好きだ」と直接言うシーンなんてないし、瀧が奥寺先輩に直接気持ちを伝えることもない。同級生の勅使河原と名取については付き合っているのかすら定かではない。(のちに結婚したようだが)タイトルが「君の名は」というだけに、あくまでこの作品のテーマは「ずっと探し続けている人の名前が知りたい、会ってみたい」これなのである。そのためには、チープな恋愛劇を入れ込む必要はなく、探し続けていた相手に出会い、その人だと認識することが何よりも重要なのである。恋愛感情とも違う、この「ただただ会ってみたい」という感情を表現するために、作中で主人公たちが気持ちを叫ぶシーンは、①三葉が田舎暮らしへの嫌気をこぼすシーン、②入れ替わりが始まり、お互いの生活をなんだかんだで楽しんでいることへのちょっとした憤り、このくらいしかない。その代わりではないが、「君の名は」「あなたの名前は」「瀧くん」「三葉」このあたりの呼び掛けるような叫びはかなり多い。物語が後半に差し掛かると、入れ替わっていた頃にはあんなに鮮明だったお互いの顔、生活、名前、その全てがまるで何もなかったかのように記憶から、抜け落ちていく。そんな事態を避けるべく、その度に、二人はお互いの名前をノートに、掌に、書き留めようとするが、ペンを進めようとした瞬間、もう頭文字すら浮かばない。鑑賞者からすればこんなに歯痒い演出はない。お互いの名前を叫んでいる間に「早く手に書き留めておきなさい!また忘れちゃうんだから!」と思ったのは言うまでもない。最初は「どうせ夢だろう」と気にも止めていなかったお互いのことを物語後半では「知りたくて、会いたくて」堪らないのである。このようなシーンの存在だけで、もう感情を吐露する必要はなくなってしまった。実によくできた仕掛けだ。「相手のことが知りたい、会いたい、少しでも長く一緒にいたい」これは私たちの日常でも、恋に落ちれば、あるいは気になる相手がいれば、まず最初に抱く感情だろう。それを夢の中で入れ替わっていた相手に抱くことは、一見当然のようにも思えるが、ひいては「それが恋だった」と説明するための秀逸なカラクリとなっている。まったく関心させられる。
 

切られた髪

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そして最後に気になったのは物語終盤で突然三葉が長かった髪の毛を肩上くらいまで大胆にカットするシーン。ただでさえ、長い髪を切るシーンには意味があるとわかりつつ、切ったのがおばあちゃんときたものだ、これはなにかしらあるに決まっている。単純に新海誠のボブ好きが三葉をボブにしたのかもしれないが、なんとか意図を見出そう。時系列から考えて、三葉が髪を切ったのは、彗星が糸守町に落ちる当日なのは間違いない。(浴衣で祭りに向かう描写から)そしてこの前日に三葉は瀧に会うため、東京まで赴いている。しかし、三葉と瀧は3年分ずれた時間軸で入れ替わっていたため、三葉は瀧に会うこと自体は出来たが、当然、瀧は三葉を知るはずもなく、「誰、お前」と言われる始末。そしてなぜか別れ際に名前を尋ねられ、「三葉、私の名前は三葉」と言いながら、髪を結っていた組紐を瀧に手渡す。このシーンを入れた理由としては、瀧がそのときのことを思い出せば、同時に組紐がムスビによって三葉のことも思い出す、という流れを汲むためなのだろう。勿論、三葉自身のそういった願いという意味で。そして、肝心な「何故三葉は髪を切ったのか」これには2つ理由があると思っている。1つは、組紐を瀧に渡してしまったことで吹っ切れ、今までの入れ替わりのことをキレイに忘れようと衝動的に切ってしまった、というもの。これは正直、女性の意見としてイマイチなのはわかっているが、あくまで候補の1つとして記しておきたい。そしてもう1つは、瀧と出会った瞬間に、「自分の入れ替わっていた瀧」と「目の前にいる瀧」は時間軸がずれている、ということに気付き、もしもこの先、自分が瀧に会いに行ったように、瀧が自分を探し、会いに来た時に同じ見た目でいようと思った、というようもの。もしも数日や数ヶ月のズレではなく、数年単位でのズレだと気づけば、その分の髪の毛を切ってしまえば、のちに瀧が会いに来た時に、髪がある程度伸び、初めて会った時と同じ見た目となり、自分のことを思い出してくるのでは、と淡い期待を抱いていたのかも知れない。すべてが言葉足らずで説明不足は否めないため、推測の域を出ないが、そう願いたい側面もある。
 
 
 
 

最後に

意外にもひとつひとつ紐解いていくとこういったロジカルな部分も見え隠れするのは、個人的に新海誠作品の魅力のひとつだと捉えている。また、本作ではプロデュースに「世界から猫が消えたなら」の川村元気が加わったこともプラスに働いたのだろう。まさに最高傑作というに相応しい作品が出来上がったことはすでに世間の評判が物語っている。ここからシン・ゴジラに追随する勢いで今年最高傑作の座を奪ってもらいたいものだ。
 
 

 

kenken726は…

(語りたいので、この記事を読んだ方は是非コメントを。)

 

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