“初めて会った時から、前にどこかで会ったことがあるような気がしたんだ”
※ネタバレ注意。というか見ていないとわからないかもしれない。
1.まずは感想を
あれこれあったけど、結局ほとんど覚えてない、それでも一目見ただけで「この人を探していた」とわかるのはまさに運命と言いたいのだろう。この映画は前半の彗星落下がトリガーとなって起こる入れ替わりがメインのように作られているし、実際使われている尺もそちらが大半だが、実際には「出会いまでの物語」を描いているのではないかと感じてしまった。あくまで個人的な感想として聞き流してほしいのだが、すべての人にはそれぞれ本作と同じように思いもよらないような「出会いまでの物語」が実はあって、それをみな覚えてはいない。それでも誰かを、何かを探しながら生きている。それを圧倒的な映像と煌びやかな音楽に乗せて、壮大に描いたのが簡潔な感想のまとめかなと。
2.音楽は
ともあれ、今回一番の功労賞はいうまでもなくRADWIMPSだろう。元々、楽曲だけで幻想的な世界を描いてきた彼らにとって、それに見合う映像があるのはまさに鬼に金棒。新海誠の描く世界とRADWIMPSの楽曲が見事に絡み合い、終始鳥肌だった。テンポやそのキャッチーなタイトル/歌詞から「前前前世」がメディアへ取り上げられることが多いが、映画冒頭の「夢灯籠」も傑作。最初の「あぁ このまま僕達の声が」って、一気に映画の世界へ引き込んでくれた。公式パンフにも楽曲の歌詞が載っているあたり、新海誠もかなりRADの楽曲には太鼓判を押しているのだろう。
3.気になるポイント
ここからはいくつかあった気になるポイントについて書いていきたいと思う。
3-1.登場人物の情報について
通常の映画、というか物語の場合、特に恋愛絡みだと登場人物に関して多くの情報を出すことで、その人物たちに移入させる、あるいはとても身近な存在として話を進めていくことが多いと思うが、本作では登場人物についての情報が極端に少ない。考えてみれば新海誠作品ではいつものことだが、これは意外に珍しい。
- なぜ両者には母親が今現在いないのか
- 同い年という表現はあるが何歳なのか(これは計算すればわかるが)
- なぜこの二人が入れ替わったのか
3-2.感情の吐露
関連してもう一点気になるのは、高校生でありながら感情の吐露が少ない点である。東京から岐阜とあれだけ壮大な捜索劇をしておきながら、瀧と三葉がお互いを「好きだ」と直接言うシーンなんてないし、瀧が奥寺先輩に直接気持ちを伝えることもない。同級生の勅使河原と名取については付き合っているのかすら定かではない。(のちに結婚したようだが)タイトルが「君の名は。」というだけに、あくまでこの作品のテーマは「ずっと探し続けている人の名前が知りたい、会ってみたい」これなのである。そのためには、チープな恋愛劇を入れ込む必要はなく、探し続けていた相手に出会い、その人だと認識することが何よりも重要なのである。(新海監督の趣味だろうというのは言わないで)恋愛感情とも違う、この「ただただ会ってみたい」という感情を表現するために、作中で主人公たちが気持ちを叫ぶシーンは、
3-3.切られた髪
そして最後に気になったのは物語終盤で突然三葉が長かった髪の毛を肩上くらいまで大胆にカットするシーン。ただでさえ、長い髪を切るシーンには意味があるとわかりつつ、切ったのがおばあちゃんときたものだ。これはなにかしらあるに決まっている。単純に新海誠のボブ好きが三葉をボブにしたのかもしれないが、なんとか意図を見出そう。時系列から考えて、三葉が髪を切ったのは、彗星が糸守町に落ちる当日なのは間違いない。(浴衣で祭りに向かう描写から)そしてこの前日に三葉は瀧に会うため、東京まで赴いている。しかし、三葉と瀧は3年分ずれた時間軸で入れ替わっていたため、三葉は瀧に会うこと自体は出来たが、当然、瀧は三葉を知るはずもなく、「誰、お前」と言われる始末。そしてなぜか別れ際に名前を尋ねられ、「三葉、私の名前は三葉」と言いながら、髪を結っていた組紐を瀧に手渡す。このシーンを入れた理由としては、瀧がそのときのことを思い出せば、同時に組紐がムスビによって三葉のことも思い出す、という流れを汲むためなのだろう。勿論、三葉自身のそういった願いという意味で。そして、肝心な「何故三葉は髪を切ったのか」これには2つ理由があると思っている。1つは、組紐を瀧に渡してしまったことで吹っ切れ、今までの入れ替わりのことをキレイに忘れようと衝動的に切ってしまった、というもの。これは正直、女性の意見としてイマイチなのはわかっているが、あくまで候補の1つとして記しておきたい。そしてもう1つは、瀧と出会った瞬間に、「自分の入れ替わっていた瀧」と「目の前にいる瀧」は時間軸がずれている、ということに気付き、もしもこの先、自分が瀧に会いに行ったように、瀧が自分を探し、会いに来た時に同じ見た目でいようと思った、というようもの。もしも数日や数ヶ月のズレではなく、数年単位でのズレだと気づけば、その分の髪の毛を切ってしまえば、のちに瀧が会いに来た時に、髪がある程度伸び、初めて会った時と同じ見た目となり、自分のことを思い出してくるのでは、と淡い期待を抱いていたのかも知れない。すべてが言葉足らずで説明不足は否めないため、推測の域を出ないが、そう願いたい側面もある。