【ふとこと雑記】わかりやすい文章の条件は

 

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今日も雑記を。

 

ここ数日、次週行われるプレゼンの資料修正なんかをフォローしていた。(後輩のね)

その後輩というのが、ばっくり言ってしまえば頭が良いタイプではない。自分の意見や考えを頭の中でまとめることも、どちらかといえば苦手だし、それを言葉に変換することは更に苦手だ。

少なくともこれまではそう思っていた。

フォローし始めた当初は確かにそうだった。だがこちらからインタビューをしながら記事にするように、頭の中を少しずつアウトプットすることを繰り返し行ったことで、本人自身の力で頭の中身を言葉に変換することができ始めていった。

それを実際に資料として落とし込んでいったわけだが、とにかく一文が長い。あれもこれもいれてしまうのだ。こんなことは社会人としていくらか資料でも作れば自然と解消されるよ、という人も多くいると思う。ただそうでない人がいることも確かなのだ。

 

そして同時に私自身が書いているブログについても振り返るきっかけとなった。少し自分のことについて話したい。

 

私は元来、未知に対して関心をいだきやすい人間だ。見聞きしたことのない事柄に対して考えたり、自分なりの結論を出したりすることが好きだ。ゆえに、本や映画、ドラマやアニメに対しても、すんなりと理解できるような内容のものより、見終わった後、読み終えた後に情報を整理しなければ、正しく理解できないような作品が好きなのだ。全く癖が強い。(具体例をあげるとすればノーラン作品など。シャマランもいいよね)

 

さて、ようやくブログの話になるが、私は意識していないと自然とこうした文章、記事を書いてしまう。つまり“情報を整理しなければ、正しく理解できないような”ものを生み出し続けてしまうのだ。回りくどい言い回し、調べなければ意味がわからないような言葉、言葉自体は聞いたことがあっても読めないような漢字など、だ。それはそれで好みがヒットする人もいるかもしれない。ただ、これは私自身もそうだが、整理したくなる、理解したくなるのはその作品や製作者に一定の信頼をおいているから、あるいは理解できていない段階でも「おもしろい」「興味深い」と感じられるからだ。したがって、ブログにおいてこうした一定の信頼を読者との間に築くことはなかなかに難しいように思う。

ではどうすればいいのか?

答えは簡単だ。多くの有名サイトやネットニュース、プレゼンがそうであるように、限りなくわかりやすい言葉を使い、簡潔にまとめ、書き綴ること。これだけでいいはずだ。そうした観点で見たときには、プレゼンの資料もブログの記事も根本は同じなのだ。今こうして書いている文章でさえも、一日ほど寝かせて見ればいらない言葉や表現が出てくるだろう。

 

文章は難しい。だからこそ読んでしまうし、書いてしまう。

 

kenken726は…

日々精進ですよね