初めて見る人からすればそれが印象のすべてとなる。
何度も見ている人からすれば今日が手抜きなのかわかる。
どちらも見ているものは同じだけど、受け取る側によって発する側の印象は決まってしまう。
つい先日見た彼らは
”いつも通りの最高”
のステージを作り上げていたけど、
”いつも通りの最高”
以上ではなく、少なくとも私が求めていた
”いつも通りの最高以上のもの”
ではなかった。
言葉が絡まる。
先にも触れたが、それは発する側の問題ではなく、あくまで受け取るこちら側の問題だと思っている。
何がそうさせているのかは、よくわからないけど。
自分の身近なところに置き換えてみても同じことが言える。
スケールやジャンルは違うけど。
挨拶でも、発表でも、課題でも、宿題でも、恋人でも、夫婦でも、相手がいて成り立つし、根本には相手に承認されたい欲求を皆抱えて生きている。
だからいつも通りに
”いつも通りの最高”
を続けていては、いつか飽きられ、離れていってしまうのでは、と。
”いつも通りの最高”
を続けることもまた、大変なことだけれど。
そんな言葉が頭をよぎる。
そうした不安を人よりも多く感じてしまう人は思い悩むだろうし、感じていても、自分を偽りながら日々生きている人はたくさんいる、私もそうだけど。
どういうわけか長く活動していても、長く一緒にいても、常に
”いつも通りの最高”
を塗り替え続けている人はたくさんいるし、そうした人たちは世間から認められ、いつしか多くの人の注目を浴びながら、伝説やそれに近い存在になっていく。
私たちの身近なところで言えば、いつまでも続く友人関係や、夫婦関係がそうだろう。
何がそうさせているのかは、よくわからないけど。