昨日に続き、雑記。
つい最近、会社で金銭のトラブルがあった。トラブルと言ってもややこしいものではなくて財布の中にあったはずの一万円が消えたというものだ。
このご時世にそんなことあるの?
と言う声が聞こえてきそうなものだが、たまたまその場所に人がおらず、かつ目に付きやすい場所に財布があったのだろうと思いたい。(なお事務所の立地的に外部犯の線は薄い)
正直、盗む側を全面的に攻めたい気持ちは分かるがこの一件を通して、お金ってなんだろうと少し考えてみたい。(小栗旬だね)
このところ、〜ペイ系のキャッシュレス決済が乱立しているし、ウーバーなどの移動手段に関してもその場でクレカを出さずに決済することが可能となってきている。日頃電車に乗る人は持っているであろうSuicaやPASMOがあれば、コンビニでの決済には困らないし、UFOキャッチャーだってできる時代だ。
実際、今日現在、私自身も財布には現金が一切入っておらず、〜ペイ並びにクレカで決済のすべてを賄っている状況だ。(殆ど買い物をしないことも要因ではあるが)
その一方で現金を財布に入れ、そして盗まれるという事件が身近では起きている。現金を常に手元においておきたい人の価値観を否定するつもりはないが、紙幣や硬貨を財布に入れ、持ち歩く理由は2通りあると思う。
ひとつは、現金決済のみ対応している店舗での使用のため、あるいは多人数での割り勘のため。
そしてもう一つは、手元にお金がある、お金を持っているという感覚を味わいたいため。
この2つなのではないだろうか。
ひとつめの理由に関しては、これから先、キャッシュレス決済はこれまで以上に加速していくだろうし、その波に逆らいながら現金決済のみでの営業活動を行う商売は致命的となっていくはずなので、自然と淘汰されてしまうと思う。また割り勘に関してはすでにLINE Payが割り勘サービスを展開しているわけなので、特に触れる必要はない。(未だにやったことないので誰かやりましょ)
ふたつめの理由に関しては、これからも存在し続けるだろうと予想しているが、今回の“イチマンエン盗難事件“から考えて、「お金を持っているという感覚を味わえること」は同時に「手元からお金が消えるリスクも負っていることを踏まえなければならない」ことなのだと思う。
キャッシュレス決済の流れが加速することで、ここのリスク意識だけが薄まり、このような事件に繋がっているのではないかとも考察している。
そもそも、お金という概念がこの世に登場したときから、紙幣や硬貨そのものに金銭的価値はなく、授受を行う当人同士が“この紙や金属の塊には価値がある”という信用をやりとりしているにすぎない。現代では世界の隅々にまでその信用関係が浸透し、成り立っているわけだが。この概念から考えれば、紙や金属の塊だったものが、バーコードになってもいいだろうし、読み込むだけのカードになってもいいのは当然の流れとも言える。だから仮想通貨なんて言葉も生まれるわけだし。
kenken726は…
お金ってなんだろう