【あんま面白くないと思】承認欲求

こんにちは
けんけんです(@takotkao726

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最近なにかと話題になっている承認欲求。皆さんご存じでしょうか。
私自身なんとなくとしかわかっていないのですが…。
twitterでのお気に入りやRTを求める行為。Facebookでいいねを求める行為。自分の発言や創作物に対する意見や賞賛を求める行為。
これらのすべてが承認欲求によるものだと思っています。このブログ更新もその一部だと思っています。間違っていた場合すみません。

tweet」というのはそもそも「つぶやく」という意味だそうです。つまりtwitterは独り言をつぶやくサービスなわけです。
最初はその意味通り使っていた人が大半だったと思います。私もその1人でした。
そこで登場するのがFollowという機能。これによってFollowerという存在が生まれます。この存在によってtwitter利用者は「見られている」という意識を持ち始めます。
「みんなによく思われたい」「誰かに認められたい」「見ているという証拠をくれ」というような欲求がそこには生まれます。

この承認欲求を叩く傾向が最近ネットで見られます。
確かに、先述のtwitterFacebookの「求める行為」は傍から見れば「どうしてあんなにみっともない投稿をしてまで認められたいのか」などと思うこともあると思います。
しかし、ここで敢えて言いたいのは、その承認欲求こそが「人の原動力」なのではないかということです。「つまんな。何言ってんだこいつ。」と思った方はここでお帰りください。

引き続きお読みいただいている方、ありがとうございます。
もう少しお付き合いください。

さて、この「原動力」という言葉、深い意味はありません。
そのままの意味で捉えています。
なにが言いたいのかというと「人は誰かに見られている(あるいは認められている)ことで初めて存在していると自覚することができる」ということです。
(自分でも何が言いたいのかわからなくなってきたな…。)

もちろん、自分で自分のことを「すごいやつだ」とか「お前はよくやっているよ」なんて思える人も幾人かいるとは思います。しかしながらそれは少数派。
したがって、自分で自分を認められない→人から認められたい という方程式が完成するわけです。
だからtwitterFacebookもここまで大きなサービスになり得たのではないでしょうか。
目の付け所が承認欲求かは定かではありませんが…。

長々書いてきましたが、言いたいのは「承認欲求を馬鹿にする(あるいは叩く)という行為は人の根本を否定している」に等しい行為だということです。
人の存在意義とか何に縋って動くかなんて誰にも否定できないことだと思うのです。
だからtwitterでもFacebookでもいいじゃないですか。過剰だと白い目で見られますが…。

ということで皆さんブログみてくださいね。笑
嘘です。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
よろしければ拍手だけでもよろしくお願い致します。