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【前評判負けしない一本】ラ・ラ・ランド 感想 考察 ラストシーンの解釈は

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公開してほどなく

見てきました。開始3分くらいから最高の連続で、整理しきれない部分もありましたが、とにかく最高だった。ただただ”ハッピー”なだけでないところもこの作品の良いところ。以下、諸々思ったこと、感じたことを書いていきます。(一部なので、また加筆するかも)

※なおネタバレあるので、見てない方にはおすすめできません。

 

 

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冒頭シーンについて

・冒頭の渋滞からのダンスは映画と音楽における夢の到達点ララランド(L.A.)に向かう夢追い人を描いている
→日常を切り取った渋滞から突然ドライバーたちが踊りだすのは、夢を追ってL.A.に向かう多くの音楽家、映画家とその作品達が踊り出すことを暗示している
→成功し、世間に認められるのはあくまで、”列を作る彼ら”ではなく、”彼らが目指しているL.A.に辿りつき、そこで結果を出した者”だけ
→そんな成功を収めた者だけでなく、そこを目指す者たちがこんなにもいること、そして彼らはこんなにも輝き、胸躍る力を持っていることを観客に示すところから物語は始まる
→そしてそのほとんどは日の目を見ることなく、夢を諦め、別の道を選ばざるを得ないことも
→これを最終、それぞれの車に戻ることで暗示している

 矢印で考えた順序を見えやすくしようと思ったんですが、微妙ですね。ともかく、このシーンが冒頭にあることで、一気に”そうだ、ミュージカル映画を見に来たんだった”と感じさせてくれることが最高。しかも、歌っているのは主演の二人ではなく、あくまで”そのあたりにいた人”というところもしびれますね。いまえ思えば、この列の中にいたふたりを主人公に据えているのだから、夢の叶え方が地道なものになっているのも頷ける。。。

 

 

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服装に見る心情の変化

・セブとミアの夢と感情
→女優になるという夢を追っているころのミアは鮮やかな青や黄色、ジャズのために生き、そのためのお店を持つことを目指すセブは白いシャツを着ていることが大半
→セブは店を持つ夢をかなえるためにその資金繰りの1つとして旧友とバンドを組むことに
→このあたりからセブが身にまとうシャツは黒いものばかりに
→ミアも一人舞台を終え、セブの帰りを待つ毎日はどこにでもいるようなジーンズにニットという服装
→服装の変化で心情の変化を描写している側面もあると思うが、そもそも気持が落ちているときに明るい服を着るかどうか考えるとある意味自然
ここは既にいろんな方が言及しているポイントだと思いますが、この映画は頭からけつまで色の使い方が抜群に良い。服もそうだし、情景、光、空気さえ色づいて見せてくれる。
 

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ラストシーンの解釈は

・ラストシーンの回想(ララランドのシーン)はすべて現実と逆のことが起こっている
→セブとミアの出会いシーンでのキス、一人舞台は満員、オーディションにその場で合格、撮影でパリへ、セブと結婚し子供が生まれる
→つまり、現実では「オーディションに落ち、プロデューサーと結婚し、役(仕事)を得た」ということの暗示
→開店費用のためにバンドに加入したセブのことを悪く言いながら、自分も同じように”仕事のため””生きるため””夢をかなえるため”に自らが望んでいた形ではない成功を選んだ
→そしてセブと偶然再会したミアが見たのは一種の幻だった
→店から出るミアと目があうセブだが、黙って頷くだけだったのは、かつての自分もそうだったように”夢を諦め大人になること”と”それも成功のひとつの形”だと認めたから
→ポップで明るいララランドの世界を見せながら、現実の厳しさ、成功の形は必ずしも自らが望んだものだけとは限らないこと、を描いているのでは
夢を叶える人とそうでない人がいるが、叶えた人のなかでも自らが望む形で成功を手に入れた人と、そうでない人がいることを描いているように感じました。思えば、自分の望みどおりの形で夢を叶える人なんて本当に一握りだし、殆どは夢を叶えることもない。でも逆に考えれば、望みどおりの形でなくても夢を叶えられる、という意味も持たせているのかも。本作の監督デミアン・チャゼルがジャズドラマーを目指しながら夢半ばで諦め、映画監督となったのは有名な話。”夢を叶える”は”必ずしも自分が望む形では無いのかもしれない”というメッセージも感じました。自分ではどう思っていても世間から評価され、地位が出来てしまえば、図らずもそれは”成功”と言えてしまいます。極めてプラスに捉えるのであれば”自分が思いもよらないところに才能が潜んでいることもある”という意味もあるのかも。
 
・回想シーンでの”もしも”を描いた理由
→結局セブと共に店を成功に導くのはミアではなかったし、ミアを女優として成功に導くのもセブではなかったというだけのこと
→”映画の中だから”というフィルターがあるために”きっとこの二人は結ばれるんだろう””二人で幸せになるんだろう”という考えが先行しがちだが、実際ふたりの幸せは”二人で成功すること”ではなく、”各々が目指す成功”でしかない
→それはミアにとっては”女優”セブにとっては”ジャズのための店を持つ”だった
→あれだけ一緒にいながらお互いの夢に関わるシーンはほとんどなく、セブはミアの演技を見たことすらない
→つまり、普通、映画で切り取るはずの”結ばれる二人”ではなく”結ばれなかったが夢をかなえる途中で出会った運命の人物”を切り取った映画であることがここで分かる
→二人が結ばれないのはある意味必然
→人との出会いにはすべて意味があって、結ばれても、別れても、もう会うことはなくても、その相手と過ごした時間には意味がある
→夢を追うことの大切さとその難しさと現実、どんな生き方も間違いではない、そんなメッセージが?
→その意味でこの映画はハッピーエンドなのでは
たまたま結ばれなかったのではなく、初めから計算された物語だったことを思うと、このふたりを切り取って映画にするのは本当に秀逸。観客が望む形ではなかったのかもしれないけど、ふたりは元々の夢を叶えているし、幸せといって差し支えない。それでも最後に残る”なんとも言えない後味”は、きっと私たちが現実世界で諦めている”すべてがうまくいく”というシーンを何処かで映画に求めているからなんじゃないでしょうか。
 
『叶う夢もあるが、叶わない夢もある』という、この映画が持つリアリティが観客の心をつかんだんじゃないかな   ーデミアン・チャゼル
 

 

 

kenken726は…

(こんなに最高な映画だけどいろんな感情が押し寄せてくるようにも感じる。)

(いつ、どの年代、タイミングで見るかによって感じ方が変わるような名作。)

(夢、運命、タイミング)

 

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